2008年4月25日金曜日

第2回目の授業外での撮影




第2回目の写真構成の授業は、2限目から芸術館での撮影の授業
昨日からの雨が嘘のように2時間目の課外撮影の授業になったら、天気がよくなった。デジタルの操作を来る前に説明して、芸術館で撮影。カメラを片手に一斉に写真を撮り始まった。課題は、人の撮影で、人を同じ位置に立たせて、写す方が、東西南北と位置を変えて撮影して、光の廻り具合確かめる撮影だった。
 さすがにみんなは元気に芸術館の周りを走っていたり、真剣に撮影をしていたりと、人数分の個性で動いていた。
 最近のデジタルカメラは、フルオートに近いカメラで、プリンターとの操作を旨く設定すれば、ある程度補正されて奇麗にプリントされて出てきてしまうので、かえってカメラの設定が逆に厄介になることがある。カメラの操作の統一されていれば良いのだか、メーカーごとにバラバラだ。生徒が時々撮ったものを見せてくれる。面白い写真が見られる。もちろん、教えているのだが、教えてもらっている面もあるのかもしれない。
 飛び上がる写真のポートレートを写真にしている写真家がいる。その写真か曰く、人間が飛び上がったときの顔が嘘のない顔だとその写真家は言っていたが、本当かどうかは解らない。
 先日、アニー・リー・ボビッツの映画を上映していたが、彼女は、ジョンレノンとオノヨウコの裸で2人でいる写真を撮影したカメラマンである。撮影したその5時間後にジョンレにノンは銃に倒れたのだった。
 写真はその写真がジョンレノンの最後の写真となったのである。彼女は、ポートレート専門で写真を撮影してきた、写真集アメリカの神々では、今では有名になったアーノルドシュワルツネッカーなどがボディービルダーとして写っているのが面白い。その他、人の写真が表情とともに、シリアスに写っている。
 私が好きなポートレートを撮影する写真家は、リチャード・アベドンである。彼はやはり、彼女と同じアメリカ人の写真家だが、彼の写真は、写真から出る人の内面性まで写真から読み取れて、今、何をして、何にこだわっていて、どのように考えているのだろうと想像できる写真を見る側に写真としてみせるのである。
 ポートレートとは、奇麗に写真を写すことから、人の性格が映し出される写真を撮ることが出来る人は少ないが、そのような写真を撮れるようになれれば、良い写真が撮れたと思うのだろう。

2008年4月19日土曜日

08年のBUNKAの授業が始まった。

今日からBUNKAの写真構成の授業が始まった。
 私の授業は、写真を中心とした授業で、デジタル写真の撮影と画像加工が中心の授業になる。今年度も、多くの生徒たちとの関わりを持つ授業が始まった。
 夢見るデザイナーの卵たちは、明るい。ただ、物事を作ること全般的に言えることだが、想像するためには、作業をとにかくこなすこと一番の近道だと私は確信している。多分、毎年のごとく、課題がきついとの意見が出るだろうことを予測して、今年も始まった。
 今年も、一方的に言葉を発しているかもしれないし、くどくどと説明しているかもしれないが、課題は、生徒が嫌になるぐらいの勢いを持ちながら出していきたい。作ることが、考えることを生む一つの要素になる。
 さっそく、来週の2時間目の授業から撮影に入る。生徒の人数分だけの個性のある写真が見られるのは、自分が講師をしていることの良さだと思う。そのようなことを思いながら、学生との授業が始まった。